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2012.02.12 四端
白文
孟子曰、「人皆有不忍人之心。先王有不忍人之心、斯有不忍人之政矣。以不忍人之心、行不忍人之政、治天下可運之掌上。所以謂人皆有不忍人之心者、今人乍見孺子将入於井、皆有怵惕・惻隠之心。非所以内交於孺子之父母也。非所以要誉於郷党・朋友也。非悪其声而然也。由是観之、無惻隠之心、非人也。無羞悪之心、非人也。無辞譲之心、非人也。無是非之心、非人也。惻隠之心、仁之端也。羞悪之心、義之端也。辞譲之心、礼之端也。是非之心、智之端也。人之有是四端也、猶其有四体也。有是四端、而自謂不能者、自賊者也。」

書き下し文
先王人に忍びざるの心有り、斯に人に忍びざるの政有り。人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行はば、天下を治むること、之を掌上に運らすべし。人皆、人に忍びざるの心有りと謂ふ所以の者は、今、人乍ち孺子の将に井に入らんとするを見れば、皆怵・惕惻隠の心有り。交はりを孺子の父母に内るる所以に非ざるなり。誉れを郷党朋友に要むる所以に非ざるなり。其の声を悪みて然るに非ざるなり。是に由りて之を観れば、惻隠の心無きは、人に非ざるなり。羞悪の心無きは、人に非ざるなり。辞譲の心無きは、人に非ざるなり。是非の心無きは、人に非ざるなり。惻隠の心は、仁の端なり。羞悪の心は、義の端なり。辞譲の心は、礼の端なり。是非の心は、智の端なり。人の是の四端あるや、猶ほ其の四体あるがごときなり。是の四端ありて、自ら能はずと謂ふ者は、自ら賊ふ者なり。」と。

現代語訳
孟子曰はく、「人皆人に忍びざるの心有り。孟子が言うには「人は誰でも皆、人の不幸を平気で見ていられない心がある。昔の優れた天子には、人の不幸を平気で見ていられない心があったので(自然に)人民に思いやりのある政治が行なうことができた。このように人の不幸を平気で見ていられない心で、思いやりのある政治を行なえば、天下を治めることは掌の上で転がすように容易なことである。人間は、皆人の不幸を平気で見ていられない心があるという理由は、今ある人が、不意に幼児が今まさに井戸に落ちて入ろうとしているのを見たら、誰でも驚き恐れ、深く哀れみ、いたわしく思う心が生じ、その幼児を助けようとする。それは、幼児を助けてることで幼児の親と交際を求めようとするためではない。同郷人、友人に褒めてもらいたいからではない。(子供を助けなかったという)悪い評判が立つのを嫌ってそうするのでもない。以上のことから考えてみると、深く哀れみ、いたわしく思う心のないものは人間ではない。自分の不善を恥じ、人の悪を憎む心のないものは人間ではない。へりくだって人に譲る心のないものは人間ではない。ことの善し悪し判断する心のないものは人間ではない。人の不幸を憐れむ心は仁の芽生えである。自分の不善を恥じ、他人の悪を憎む心は義の芽生えである。へりくだって人に譲る心は礼の芽生えである。ことの善し悪しを判断する心は智の芽生えである。人間がこの四つの芽生えを持っているということは、ちょうど人間が両手・両足を備えていることと同じである。この四つの芽生えを持っていながら、自分から仁・義・礼・智を行なうことができないという者は、自分で自分を傷つける者である。」と。
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